エトノスシネマ

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2021.12.10

特集:東京ドキュメンタリー映画祭2021

4年目を迎える東京ドキュメンタリー映画祭では、2021年から新たに「人類学・民俗映像部門」コンペティションが創設されました。

日本における民俗映像の先駆者のひとり「宮本馨太郎」の名を冠した賞が優秀作品に与えられます。

エトノスシネマ は、「困難な時代にドキュメンタリー作品を撮るつくり手をサポート」し、できる限り多くの作品と観客の出会いを作ろうと試みる東京ドキュメンタリー映画祭と同調し、「人類学・民俗映像部門」を応援します。

そこで【特集:東京ドキュメンタリー映画祭2021】では、これまでの映画祭で上映された民族誌映画を中心に紹介します。

▶︎▶︎▶︎東京ドキュメンタリー映画祭 https://tdff-neoneo.com/

12月11日(土)〜17日(金)東京新宿ケーズシネマにて開催

▶︎松村圭一郎監督『アッバ・オリの一日』

エチオピア西南部のコーヒー栽培が盛んなコンバ村。1998年から現地調査でお世話になってきたアッバ・オリは、84歳(2019年2月撮影時点)。いまや村で最長老だ。数年前から足を悪くし、出歩けなくなった。75歳の妻ファトマとともに、病気がちで床に伏せることも多い。裏庭のバナナの下で用を足し、軒下の長椅子に座り、居間でコーヒーを飲み、礼拝をする。単調な時間が過ぎていくだけなのに、アッバ・オリは孤独でも、退屈そうでもない。半径5メートルの暮らしに、子どもや孫、友人たちが訪ねてくる。サルも、虫も、風も、やってくる。さまざまな生命に囲まれた時間。そんなアッバ・オリの過ごす一日をとおして、エチオピアの村の老いの風景をとらえる。人と人とがどう関わって生きていくのか? そんな問いを考えるために。
(2020年/2019年撮影/36分/HD/16:9)

東京ドキュメンタリー映画祭2020(東京、大阪) 特集「映像の民族誌」上映作品

▶︎松村圭一郎監督『マッガビット~雨を待つ季節~』

1998年から通い続けてきたエチオピアのコーヒー栽培農村。2008年3月、はじめて2週間のビデオ撮影を行った。エチオピア暦のマッガビット月(3月頃)は、長い乾季の終りにあたる。人びとはみな雨が降りはじめるのを待っている。村の男たちは雨乞いの祈りを捧げながら、空を眺める。雨が降らなければ、土地を耕して種を蒔くこともできない。ちょうど村の女性たちが中東へ出稼ぎに行こうとしていた。突然の出稼ぎブームだった。その多くは2~3年の契約で家政婦として働く。仲介業者を通して首都に行き、滞在しながらパスポートやビザの申請をし、健康診断を受ける。その渡航の準備だけでお金がかかる。多くの家族は借金を負う。村に戻り、業者からのビザが下りたという連絡を不安げに待つ女性たち。どこの国に渡航することになるのか、いったいそこがどんな国なのか、女性たちは何も知らない。いったい彼女たちはどんな未来を待ちわびているのか。
(2016年/2008年撮影/28分/HD/16:9)

東京ドキュメンタリー映画祭2018・短編部門上映作品

▶︎冨田晃監督『ドゥグ:ガリフナの祖霊信仰』

中央アメリカのカリブ海沿岸に住むガリフナ人の宗教は、西アフリカおよびカリブ海セント・ビンセントからもちこんだものにハイチのブードゥーやキリスト教カトリックが習合した独自なものである。

ガリフナにとって、死とはすべての終わりではなく、来世へのはじまりであり、祖先への深い敬虔の念をもって、死者の霊に捧げるさまざまな儀礼がおこなわれている。

発端は、災いがつづくことだった。ガルシア家の娘イサは、亡き祖母エバが夢に出て寝付けぬ日々をおくっていた。イサの母親フアナは数か月前から足のすねが腫れあがりときおり出血していた。そして、叔父が交通事故にあうのだった。
祭司はその原因が、亡き祖母エバの怒りであるという。そこで、エバの子や孫が集まって、祖先の霊をこの世に招き、もてなし、願いを聞き、送り返す儀礼ドゥグを4日間にわたりおこなうことにした。
(40分/1994・1996年撮影/2021年/Hi8→HD/カラー)

東京ドキュメンタリー映画祭2021 特集シャーマニズム「憑依する精霊たち」上映作品

▶︎井口寛監督『ナガのドラム』

インドの国境地帯に暮らす少数民族、ナガ族のユニークな文化の1つだ。
東南アジアの西端、タイとインドに挟まれるように位置しているミャンマーは、優に100を超える民族が暮らす多民族国家だ。そしてその北西部、インドと国を分かつように位置する丘陵地帯に暮らしているのがナガ族だ。ミャンマーで暮らすナガ族の多くは、奥深い山の中で自給自足の生活を送っている。厳しい地理的要因と複雑な政治的背景が相まって、彼らが住まう丘陵地帯への入り口は長らく閉ざされてきた。そのため、ユニークな文化を今でも色濃く残している。2016年の2月から3月にかけて訪ねたサパロ村で、ナガ族が古くから受け継いできた巨大なドラム作りに立ち会った。見たことも聞いたこともないような出来事に釘ずけになりながら、毎日記録を続けた。当時の記憶を紡ぎ、この「ナガのドラム」を作った。
(67分/2019年/2016・2017年撮影/HD/カラー)

東京ドキュメンタリー映画祭2020(東京、大阪) 特集「映像の民族誌」上映作品

▶︎川瀬慈監督『ラリベロッチー終わりなき祝福を生きるー』

金品を受け取ると、祝福の台詞を人々に与え、次の家へと移動する。
ラリベロッチに対する地域社会の反応は一様ではない。そこからは、親しみ、侮蔑、羞恥など人々の様々な感情が伺える。ラリベロッチ側は、たとえ人々に歌を拒絶されても決してひるまず、絶妙なジョークによってその活動を正当化しつつ、人々の好意的な反応から邪険な対応にいたるまでユーモラスに歌唱に包み込む。
ストリートでしたたかに展開する芸能の豊かな力を感じてほしい。
(30分/2007年/SD/カラー/4:3)

日本ナイル・エチオピア学会第19回高島賞
(エチオピアにおける民族誌映像制作ならびに上映活動に対して)

東京ドキュメンタリー映画祭2019 「エチオピアの芸能・音楽・馮依儀礼 川瀬慈特集」上映作品

▶︎村津蘭監督『トホス』

西アフリカ、ベナン共和国では、多彩な神格や霊的存在からなるヴォドゥン信仰が広く信じられている。ヴォドゥンの神格には、雷神などの自然物、疱瘡神などの伝染病と関わるもの、蛇などの動物と関わるもの、先祖霊と関わるものなどがある。
その中で、トホスと呼ばれる神格は、憑依する神であると同時に、人間の形で生まれてくる神でもある。特に、身体や知的に障がいを持って生まれた場合、その子どもはトホス神とされる場合が多い。

本作品の主人公であるポールは、子どもの頃話すことができず、占いでトホス神であると判じられた。
ポールが村を歩くと、人々はポールをからかう。しかし、話すことができなかったポールは、周囲に挑発されることによって、少し話すことができるようになったのだと、村の人は言う。お金がある時は人びとはトホス神であるポールに捧げ物をし、ヴォドゥンの儀式の際には、憑依した神々が神自身であるポールに挨拶に来る。

そのようにして村の人は、畑仕事をせずに一日中散歩しているポールを侮り馬鹿にしながらも,畏れ、愛でる。神と人間が生きる、聖性と俗性が入り混じった世界を、ポールに寄り添いながら映し出した。
(28分/2018年制作/2016〜2017年撮影/HD/カラー/16:9)

東京ドキュメンタリー映画祭2018・短編部門 奨励賞受賞作品

【本コンテンツの配信収益は、監督の意向により、撮影地に還元されます】

▶︎弘理子監督『デヴォキ〜神に捧げられた女たち〜』

ヒマラヤ山麓に残るデヴォキと呼ばれる女性たちの記録。ヒンドゥー教のドゥルガー女神を篤く信じるこの地方では、さまざまな祈願の代償として幼い少女を寺院に捧げる習慣が残されていた。少女たちは神の妻とみなされ世俗的な結婚は許されず、数奇な人生を送ることとなる。ネパールの研究者との2年にわたる調査研究に基づいた貴重な記録映像であり、いにしえの寺院娼婦を伝える彼女たちの姿を通して、ネパール社会のタブーに切り込む問題作である。本作品は1992年に撮影したものを、2019年に未公開カットを追加して長編映画に作り直した。
(76分/1992年撮影/2019年制作/16:9/カラー)

東京ドキュメンタリー映画祭2020 特集「映像の民族誌」上映作品

▶︎野田真吉監督『この雪の下に』

ドキュメンタリー映画作家・詩人の野田真吉が描いた1950年代の雪国のくらし

山形県西川町大井沢を舞台に、東北の雪国の人々が雪の下でさまざまな工夫と努力を重ねて、生活する姿を記録しています。家庭電化もその努力の1つです。それを受け継いで伸ばしてゆく子供たち。
雪深い山の中で郷土の自然を愛し、生活を愛する教育を受けてすくすくと育っています。
(33分/1956年/SD/4:3)

東京ドキュメンタリー映画祭2018 「没後25年 映像作家・野田真吉特集」上映作品
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